2006年10月29日

♪モロカイ島

本久々☆ハワイコラム
♪モロカイ島ホノルル空港から約25分、信号が1つもないほど、のんびりとしたモロカイ島やし

派手なリゾートホテルもないし、ショッピングモールもない、古き良きハワイを堪能できる島です。

そんなモロカイ島には、忘れてはならない悲しい歴史があります。

カラウパパ半島に、ハンセン病患者が強制的に隔離されていました。19世紀以前は、まだハンセン病は感染する不治の病とされていたのです。。。
(※ハンセン病は感染しません。)

当時隔離されていた患者のケアをすることに一生を捧げたのが、『ダミアン神父』

ベルギーの農家で7人兄弟の末っ子として生まれた彼は、修道院に入っていた兄、姉の影響を受け、‘ダミアン’という修道名を選び、神と人々に自らの一生を捧げることを誓いました。

ハワイへ宣教師として派遣されることになったダミアン神父は、各地で活動しながら、ハンセン病患者の世話をする人が誰もいないことが気にかかっていました。

当時のハンセン患者は、すぐにモロカイ島へ隔離され、そこで誰からも世話されずに亡くなっていく運命でした。それを知ったダミアンは、決断してモロカイ島への派遣を願い、許されて単身でそこへ向かうことになりました。

ハンセン病患者以外の者で、常駐するために島へ向かうのは、彼が初めてでした。

やがて、世論がダミアン神父を「モロカイの英雄」といって注目し始めると、義援金なども集まり、ブラスバンドを始めたり、学校も造られました。

長い間のダミアン神父の苦労が実って、モロカイ島のハンセン病患者の環境は大いに改善され、施設は充実して、ハワイ王朝の王女 「リリウオカラニ」 が訪問するなど、ようやく人々もハンセン病患者の現実に目をむけるようになりました。

その矢先の1884年12月、ふとしたことからダミアンは自らもハンセン病にかかり、病勢は確実に進行し、1889年4月15日、協力者の司祭やシスター、患者たちに見守られてこの世を去って行きました。

「ベルギーの英雄」 として、現在、ホノルルの州議事堂にはダミアン神父の銅像が建てられています。


ピカピカダミアン神父ピカピカ
♪モロカイ島

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